作ることへのこだわり

友達にakikoというジャズ・ヴォーカリストを教えてもらいました。おだやかな歌声でシックに格好良く歌い上げるスタイルがとてもステキなヴォーカリストです :-)
インターネットで「akiko」を検索すると、数秒もせずに本人の書くブログがヒットしました(インターネットってやっぱりすごい!)。つい昨日までは知らなかった人の書く文章を、今この瞬間わたしはもう読み終わっている。なんてすごいんだろうと思います。
話しを戻して。akikoさんのブログを読んでいると、たくさんのことを感じとれる人なんだなぁと思います。多彩な日々のちょっとした幸せをあますところなく摘み取られていて、読んでいてとても心があたたかくなります :-) わたしも日々を楽しくする*1ために、ネガティヴなことを書くよりは、心があたたまるようなことを自然と書き連ねていける人になりたいな。
さて、akikoさんのブログにて、下記のような心に触れる文章があったのでご紹介。

先日、友達のデザイナーと話していた時に、
とても印象的なことを言っていました。
彼女は、国内外のアーティスト達とコラボレーションして
世界に一点しかないものを作りあげる人。
「どんなブランドでも今みんなサンプルセールとかって、服が叩き売られていくじゃない?
せっかく思いを込めて作ったものがそうやって消費されて行くの、
私は何だか悲しいんだよね。
だからわがままだとか不器用だとかもっと上手い方法あるのに、って言われても
私はこういうやり方しかできないんだよね。」
彼女の言葉に、とても共感してしまった。
確かに、『安くて質のいいもの』は必要。
その需要はいつの時代にもあるし、
私だってセール大好き。
だけどその一方で、
『こだわったもの、ずっと愛せるもの』に対する執着も
歳を重ねるごとに強くなって行く。
私がやっていることも同じ気がする。

akiko Blog「贅沢な、こだわり。」

自分が作り出すものへのこだわりや、執着心をしっかりと持っているということが、わたしにとってはすごいことです。わたしはまだまだ、自分が作り出すものに対して、そんなに執着心を持てていないような気がする。自分なりのこだわりだとか譲れない部分だとかはあるけれど、柔軟性があるのともまた違う、確固としたものがないどっちつかずの状態にいるような気がする。
わたしが作るものは物理的に触れられるものよりも、言葉(短歌)だとか、一瞬でコピーが出来てしまうデジタルなものが多いので、先生や周囲の人に「ここはこうした方がいい」と意見をもらうと、それを作り続けている間はどんどん変わっていくし、ファイルがいくつも出来ていきます。言葉(短歌)の場合は、詠み手の意図すること以上のことを読み手が感じてくれることによって、そこにまた新しいものが生まれるとも考えているので、詠んだ短歌そのもの以上のものが生まれる可能性もあるのだと思います。
たぶんきっと、どういうものの作り方がいいのか、ではなくて、ものを作ることに対するスタンスは、たくさんあるということ(それは、媒体の違いだったり気持ちの違いだったり需要の違いだったりするのかもしれない)。
自分がものを作るうえでのこだわりや、作品に対する気持ちを持つということ、そういうことを大切にしていけたらと思います。そして次第に、頑固だとか意固地だとかという意味ではなく、「『こだわったもの、ずっと愛せるもの』に対する執着」をもっと大事にしていけるようになれたらいいな。

*1:目下のところわたしのモットー ;-)