夢は叶えられる

ある会社の新卒採用の書類審査のテーマとして、「あなたがインターネットで実現したいビジネスはなんですか」というものが出題されました。
どんなことを書こうかとわくわくして、それから困って、昨日の夜ぼんやりと考えていました。例えば「動物の目線だけで気持ちを読み取り、犬や猫、鳥とインターネットを介してチャットが出来るサービス」だとか「ディスプレイに手のひらをくっつけるだけで、あなたの手形が簡単に作れて公開出来ますサービス」(笑)だとか。空想に耽ったひらめきがだだっと頭をよぎること数分。最終的に草案として書いたのは、私が作りたいと思っているものの(うちのひとつの)理想像になりました。
無駄に楽しみながら(途中でちょっと嫌になりかけながら)、草案を書いていて思ったこと。それは、わたしが作りたいと思っていたことはこんなにも広がる! ということ。作りたいと思っていたことは、もしかすると卒業制作として作るのかもしれないのだから、今の自分の技術力や表現力で期限内に出来ることを、と知らず知らずのうちに考えていたみたいです。その会社にいるクリエイターさんが一緒に作ってくれるとしたら、ああしてこうして、と考えていると、やってみたいことが本当にたくさん出てきて、疲れてしまったけど、でもとても楽しかったです :-) 以前、ゼミの先生に「あなたは挫折を恐れている」とつっこまれたことがあったのだけど、わたしはこんなところでも無意識のうちに挫折することを回避していたのだ、とちょっと思い知りました(凹)。

それから、もうひとつ。具体的なイメージがないと物は作れない、ということ。考えてみれば当たり前なんだけど、こんなものが作りたい、と思い描くことはあっても、具体的にインタフェースを絵に描こうとしたり、機能を詳細に言葉にしようとすると、「あれ?」と思うほど曖昧なイメージしか持っていなかったことに気付かされます。こんなものが欲しい、あれば良い、と思うだけじゃなくて、もっとずっとしっかりとした具体的なイメージを持っていないと、何を作っていけばいいのか、目指すところがしっかりしないのだと、改めて気付きました。
そういった意味で、近未来を描いた映画やSF小説(あるいは漫画)は、とてもしっかりとしたイメージを持っていると思います。例えば、下の動画はCeBIT 2008というイベントにて展示されていたものらしいのだけど、まさに映画「マイノリティ・リポート」の世界! :-)

そのうちこういうものが出来るだろう、だとか、こういう風になっていれば面白い、だとか、脚本家や作家が想像して描いたものが、具体的なイメージとなって、専門的な知識を持つ人、高度な技術を持つ人に影響を与えると、夢は現実のものになるのだなぁと感じます。技術があるから夢は叶えられるのではなく、夢があるからこそ、夢を現実のものにしようとする想いを持つ人々が、目指すところに向かって技術を発達させ、結果的に夢が叶えられる。そういうものなのだと感じました。
インターネットの普及にともなって、以前は限られた一握りの人しか多くの人に向けて発信出来なかった「夢(あるいは、アイディアや想像図)」を、今では誰もが発信することが出来ます。ひとりの力では、技術面や資金面や、色んな問題で実現出来そうにない夢も、インターネットという土地を利用して、抱く夢の種を撒いていけば、その種の花を見たいと思った誰かが、きっと水をくれるはず。定期的に水をもらえて、時には肥料をもらったり、甲斐甲斐しく世話をしてもらえるほどの魅力ある「種」であれば、いつしか夢は叶えられる、そういう種を撒ける大きな土地が、ここ(インターネット)にはあるなぁと感じます。その一画としてオープンソースがあるけれど、ソフトウェアの世界だけじゃなくて、もっといろんな種類の種が撒かれていけば、きっともっと面白い夢がたくさん叶えられていくだろうな :-)*1
今年、わたしが卒業論文を書くことを選ぶにしろ、卒業制作に没頭するのを選ぶにしろ、出来上がったものはインターネットで公開したいと思います。これから約一年をかけて作り出していく種をひとつ、来年の春、撒いてみよう。

*1:ということを書きながら、どこかの何かの考え方に似ているなぁと思っていたけど、そういえば、同様の意味を持つ文章を、梅田望夫さんの本で読んだ気がする!