音を感じる力

音の話しをしました。それから、音楽の話しも :-)

以前、友人(20080419の彼女)が「生きているということはそこに音があるということ。だからわたしは音をテーマに作品を作り続ける」のだと言っていました。その言葉がとてもカッコよくて、ずっと忘れられなかったのだけど、今日はその友人とは別の人と音の話しをして、良い思考の時間を過ごせたので、ここにも書き留めておきます。
以下は、わたしの主観と相槌を打ったときの意見も入ってしまうけど、その人が言っていたことも含む、今日話したことの概要。

西洋の音楽というものが世界中に広がって、音はすべて五線譜に書き起こされ、コンピュータで編集できたり、楽器が手元になくても、あたかもその楽器がなっているかのような音を作れるようになっている。録音技術にも優れ、世界最高峰の指揮者が振るオーケストラを美しい音色そのままにCDで聴けるようになっている。それはそれでとても素晴らしいことだけれど、しかし果たしてそれだけで良いのか?
感じる耳が、失われていっていはいないだろうか。例えば、録音しても残らない弦がふるえるときの空気の音、お琴の弦とお爪が擦れてなるノイズのようなあの音、三弦と撥のなる音、何も音がしない早朝の静けさの中の音、五線譜には書き表すことができない音と音に隠されている無限の音、そういうものを感じる耳が、失われてきているように思う。
西洋の音楽が日本に入ってきたとき、尺八の独特のあの五線譜には書き表せない音が、無理やり五線譜の中に押し込められようとした。当時はそんな風潮に反対をする人々もいたけれど、今ではそんなことはなかったかのように、尺八の楽譜こそ五線譜ではないけれど、人々の頭の中でその音色は五線譜に置き換えられてしまっている。
そもそも、西洋の音楽はなぜ世界中に広まっていったのか。西洋が強い影響力を持っているという社気的背景の他に、五線譜に書き起こす、という、誰にでも分かりやすい方法を提示できたからではないか。楽譜と楽器さえあれば、音を再現することができる。楽譜が広がれば同時に音も広がっていく。しかし、尺八の音や、十三弦や三弦の音、あるいはジャワ島の音楽、そういうものは本来は簡単に五線譜に書き落とせるものではなく、人が演奏をすることで人から人へ伝わっていく、そういうものであった。そこに人がいて演奏をする、ということは、五線譜が広まっていくよりもずっとずっとゆっくりとした波で広がるしかない。繁栄するものと衰退するもの、そこには、マジョリティとマイノリティの関係があるように思う。
話しはかわるが、音はなにも耳でのみ感じる訳ではない。音がなるときの肌触り、それは物質だったり、あるいは音による空気の振動だったり、その場にいないと感じられない音、というのが存在する。本来はそういうものも含めたものが本当の「音楽」ではないか。しかし現実は、CDに録音された音楽に満足して、コンサートホールに聴きにいったり、ということは中々しない。CDはいつでも何度でも聴けるが、実際にホールでオーケストラを聴く場合はそうではない。時間と、コストと、オケの演奏会がいつあるのか、というタイミングが必要であり、CDを聴くことと比べても、圧倒的にマイノリティだ。
しかし、マジョリティを批判をすることはあっても否定はしない。マジョリティの存在もまた音楽には欠かせないものだからだ。だが、だからと言ってマイノリティがこのまま衰退していくのは、見るの忍びないものがある。だから、マジョリティの恩恵を自身も受けてはいるが、批判をするし、それだけで満足することなく、感じる耳、感じられる感覚を持っていたいと思う。

補足的に追記すると、わたしはお琴を少し弾く*1けれど、十三弦や十七弦の楽譜は五線譜ではありません。ヴァイオリンのように*2A線やG線と弦を呼ぶこともなく、漢数字と漢字で弦を特定し、右から左へと縦に書かれています。それなのに、お琴を調弦するときは、チューナーを使っていました。お琴は弾く曲によって調弦が違うのだけど、例えば一の弦をDにあわせる、二の弦をGにあわせる、というようなことをやっていきます。師範や、慣れてくると耳で聴いてあわせられるようになるのでチューナーは要らないのだけど、でも基本はDやGや、五線譜で書ける音であわせている。五線譜であらわせない音を表現する、表現できるはずの楽器が、五線譜の中に収められている。以前はそんなに気にならなかったけど、でも今はそのことに違和感を感じます。
想像でしかないけれど、昔は師範が弟子に、弦の音を耳で覚えさせていたのではないかなぁと思います。でもそれは、とても時間がかかること。多少のニュアンスは違っても、一の弦はDに、と言ってチューナーを渡す方が、誰でも簡単に琴柱を立てられるから、効率的で、楽です。でも、そのために消えていった微妙な音は、きっと数多いはず。それらの音のことを想うと、少し、悲しくなります。わたしも五線譜に書き落とせない音までをも、感じられる人でありたいなぁ、と思います。
…長々と書き綴っていたら、久しぶりにお琴が弾きたくなりました :-D

*1:今はもうお琴が手元になくて随分弾いていないけど、ならっていたのは生田流です :-)

*2:ヴァイオリンもほんの少しやってました :-)