爪先で着地

5月9日に就職活動をすべて終えました。たくさん悩んで考えて、いろいろな要素を噛み砕いてきちんと納得してから、自分の足で着地ができたと思います。
就職活動は人それぞれにいろんなかたちがあるけれど、わたしの就活は、大部分を悩み、考えることに費やしたなぁと思います。まっすぐにアンテナを張っていると、どの会社にわたしが惹かれるのかを選り分けるのは簡単だったけれど、その惹かれる会社の中での選択を強いられたとき、友達曰く「究極の選択」について、一ヶ月ほど悩み倒しました。わたしの中での優先順位はなんなのか、わたしはいったい何をしたいのか、どんな人になりたくて、そのためにはどうすれば良いのか、考慮にいれるべきではないことはどれか、云々。
時々休みながら、人に相談をしながら、考えに考えていると、本当はこうなんじゃないか、こう思っていたけれど、もしかしたらそうじゃないかもしれない、と考えのかたまりが溶解して、悔しいことや悲しいことや、ああ、もっとこうだったら良かったのに、と思うこともあるけれど、自分の考え方を受け入れることが出来たような気がします。
ある日、夕ごはんを一緒に食べていた友達が、考えたことを話してくれたことがあります。それは、自分を認めるということ。彼女は、周りの人からとても期待されていて、就職先もどんな大手に行くのだろうと思われていたのだけど、就活を止め、留学を決めました。早い時期から期待を自信に就活をして、大手に行きたいという気持ちもあったけれど、でも、大手に内定をもらうに違いないという、人の目を気にしていた部分もあったのだと。その友達は、内定をもらえそうな大好きな会社があったにも関わらず、でも、行けるかどうかは分からない、同時進行で準備していた留学のための試験に見事パスして、留学という道を選びました。親のすねをかじって、就職もせずに留学をする、それを逃げだと言われようが、でもわたしはこの機会を逃したくない、と言い、決断した彼女は、本当に強いと思います。親のすねをかじって生きる、それは本当のことで、間違ってはいない。でも、人に逃げだと思われようが、親に依存していると思われようが、自分がこうだと思うことをやるのだと、彼女は決めました。それは、人の目を気にしていたという自分を認めて、自分が持っている気持ちを認めたからこそ、決断できたことなのだと思います。自分を見つめると、いいことばかりじゃなくて、弱いところや、ずるいところや、負の部分もたくさん見えてきます。それはわたしも例外じゃなくて、こんな自分でありたくはないのに、と思うことがやっぱりありました。でも、それを認めて、受け入れられると、もっと深い何かが見えてくる気がします。
内定を頂いて、一緒に仕事をしたいと目の前に広げてもらえた、ふたつに別れていた道の、どっちを選ぶ方が正しかったのか、それは今でも分からないけれど。ただ、正しいかどうかは主観的なもので、他の人にとってはそうではなくても、たくさん考えてこっちだと決断をした、この道がわたしにとっては正しい道なのだと思います。この選択を後悔しないように、選ぶことが出来なかった道をひらいてくれた大好きな会社に、それでも内定を出したことは間違いではなかったと思ってもらえるように、少しずつ、でも大きく、成長していきたいです。
まずは、来年わたしが行く場所へと爪先で着地しました。残りの大学生活で、たくさん勉強して、たくさん遊んで、やりたいことを出来るだけ全部やって、新しい場所で走り出せる準備をしていけたらと思います。