ひととことば

id:gintacat:20080519の記事にて書かれていたことに触発されて、いつか書こうと思ってきたことを、少しだけ綴ってみようと思います。
わたしは、言葉、というものにとても興味があって、今までに何冊もの書物を読んだり、掌編を書いてみたり、短歌を詠んだり、古文を読んだり、セミプロのように活動している詩人達がいる授業を受講したり、ということをしてきました。
言葉と向き合って思うことは、いつもそこに「人」がいるということ。人は、言葉がなくても感情を伝えることは出来ます。嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい、そういう気持ちを。でも、言葉がなくては知的な思考の結果を伝えることは出来ないのだとも思います。例えば、ベンジャミン・フランクリンの「人生を愛するものよ、時間を浪費してはならない。人生は、時間でできているのだから」という言葉*1。これを言葉なくして表すことは、きっととても無理なことです。
「人と言葉」という関係も、id:gintacatさんが書かれていた「機能と意匠」の関係に似ている気がします。言葉は知的思考と等しくはなく、心と等しくもありません(あえて言うなら、ほぼ等しい)。なぜなら、知的思考も心も止められる垣根がなく、時にそのふたつは複雑に絡み合い、結果、無限の何かが思い描かれるにも関わらず、言葉は限られているからです。それでも、言葉がないと、複雑な心や思考の産物は表現されることがない。そのふたつを切り分けることは出来ない。それに、言葉があって、人がいる、ただそれだけのことでそのふたつを繋ぎ合わせることも出来ません。
今わたしが読んでいる小説の中に、こんな文章がありました。

<そう。言葉によって成り立つ世界。言葉があるから大人たちは存在できるのよ。地域や社会や世界は言葉があるから崩れずに保たれている。>
神林長平「七胴落とし」

言葉がなくても人は感情を伝えることは出来ます。でも、言葉がなければこの社会はなりたたないだろうし、「言語(言葉)を持っている、それこそが人が人たる所以である」というような言葉をどこかで聞いたことがあるように、人と言葉はふたつに分けられるものでありながら、そのふたつで「全体」のような気がします。
あまりうまくまとめられた気がしないけれど、また折を見て、別途、修正したり、書き加えたり、書き綴っていきます。
このような(どのような?)訳で、わたしの卒業制作*2は、わたしが生涯興味を持って大切にしていくであろう「言葉」、言葉を考えるうえで切り離せない「人」、そしてもうひとつ、わたしが大好きな「ウェブ」、これらがテーマです。わたしは日本語を勉強している訳でも、言語学を勉強している訳でもないけれど、だからこそ、今わたしが勉強しているメディアやアートや色んなことと絡めた、違う視点からの言葉に対するアプローチをしていければと思います。

*1:わたしが大好きな金言のうちのひとつです :-)

*2:論文と制作、の選択は制作を選ぶことにしました。考えたことを文字にする行為はしようと思うので、簡単にでもポートフォリオに含ませてまとめられたら良いな!