大切なこと

わたしは考えすぎるところがある、とよく言われます。今日はウェブに詳しいとある方に、ウェブについてのわたしの考えに対する意見を求めたら、「どうでも良いことを、そんなにいちいち考えてたら世の中やっていけないよ」と言われて、泣きたくなる*1ほど悲しくなってしまいました。もしかするとそれは、多くの人から見ればどうでも良いことかもしれないけれど、わたしにとっては噛み砕いて消化したい、大切な要素であったはず。多数の人にとってそれが「どう」なのかではなくて、わたしが「どう」思っているのかが、わたしにとってはより大切なので、それについて他の人がどう捉えたとしても、そこは悲しむべきことではないのだけど。でも、人に考えを話して、それについて考えてもらう、ということは、その人の時間を消費することだから、その人にとっては無駄なことを安易に投げかけてしまって、浅はかだったなぁと反省です。
考えたことを話せる人、特にウェブについて話せる人というのは、わたしの周りでは少なくて*2、話しを聞いてくれる人、あるいはその人が持っている考えを話してくれる人がいると、ついつい嬉しくて話しをしすぎてしまうことがあります。でも、思い返してみるとそれは、自分にとっては有意義でも、相手にとってはそうでもなかったかもしれないことが、今までに多々あったことに気付きました。有意義かどうかは、わたし自身ではなくて相手が判断することなので、何とも察しにくいところではあるけれど、相手への配慮なく話しを振ることについては、今後意識して直していこうと思います(反省!)。

ということで、ここまでが前置き(長くなってしまったけど、前置きのつもり)。考えすぎるわたし、を休憩するために、クラシック音楽や好きなアーティストの曲を聴いたり*3南座京都劇場の公演は今何をやってるのか調べて、観に行きたい! と思ったり、久しぶりに好きなアーティストの活動情報を見て、ああやっぱり好きだなぁ! と思ったり(笑)、好きだなぁ、止まりのものがあることは、良いことだなぁと感じます。ウェブ(や、作品作りや、恋愛もそう)のように、わたしにとって「大好き」なことだと、考えすぎて疲れてしまうこともあるけど、「好き」止まりだと、心地良いことしかなくて、楽だなぁと思います。大好きであるからこそ感じる喜びも多いけど、息をついて安心して好きなだけ楽しんでいられる好きなこと、があるということは、大切なことであると、今更になって改めて思いました(今までも、それらにはたくさん助けられてきていたはずなのに、という意味で、今更)。
考えすぎるわたし、がわたしなので、どうしようもないところではあるけれど、好きなことに支えられながら、考えることについて、大好きなことについてもゆとりを持てるようになりたいです。あまり、というより、殆ど自信はないけれど、出来るだけ人に負担をかけない自分、でありたいと思います。

*1:就活中に、しばらく忘れていた「泣く」ことを覚えてしまったみたい :-(

*2:それでも考えたことを話せる人、は幾分か多い方だと思うので幸せです

*3:だけど、わたしが好きなアーティスト(のうちの一組)が持つ哲学があんまりにあんまりだったりするので、以前のエントリに書いたのと同じように、「わたし」と「考える」ことも、切っても切り離せないことなのかもしれないです(笑)。