「在ること」と「無いこと」

本当はKYOTO ART MAP 2008のギャラリーやシンポジウムについて書こうと思っていたのだけど、今日あった出来事でキャパシティがオーバーフローしそうなので、それはまた後日にして。
今日は、6月8日まで京都芸術センターで開催されている「virtual/actual 生成・変化・流動」を見に行きました。主催者であるアーティスト集団「SZ」の前田さんがパフォーマンスをされていたり、実際に自分の頭に脳波を測定する入力装置を取り付けてもらって、作品とインタラクティブなやりとりをしたり、他の鑑賞者の入力による出力を見たり(当然、人によって脳波は違うのでまったく同じ出力というものは存在しないのです)、体験することや、鑑賞することによる様々な感情や思考が渦巻いて、とても面白かったです。
パフォーマンスや作品や、作品の出力について、もっと具体的なことを書きたい気もするけれど、たぶんここで言葉にすると語弊が発生したり、何かが抜け落ちてしまいそうな気がするので、気になった方は、是非、足を運んでみてください :-)
京都芸術センターでは偶然友達に出会って、作品を鑑賞したあと、散々カフェでゆったりした時間を過ごしたあげく、関係者の方が集うパーティに出席させて頂けることになって、まさに棚から牡丹餅状態でした。行って良かった! :-)
パーティでは、SZの前田さんと真下さんとお話しをさせてもらって、とても印象的だったので、忘れてしまわないうちに、ひとまず自分のために箇条書きでまとめておきます*1

  • 顕在するものと潜在するものの間で、抜け落ちているものがある(山から海への思考の変化の間)
  • 時間とリズムの関係
  • 人の身体は胃や腸など、それぞれに体内時計(リズム)を持っている(ホタルの光の実験による)
  • リズムは「在る」と「無い」で成り立っている断続的なもの。音がある時とない時の間にある、気に留められることのない(潜在している)失われている何か
  • 大きなリズムの中で動く小さなリズムの中のリズムの中のリズムの中のリズムの...
  • 補足:宇宙に有機物(=生物)が存在するということが、大きなリズムの中の音が在る時だと仮定すると、その大きな「在る」中に個の有機物が生きて死に行くことで織り成す在ると無いのリズム、個の有機物の中での胃などによる多様なリズム、胃などを作る細胞のリズム、また更にその中のリズム(以下延々)
  • リズム=断続的なものである、つまり在ることと無いことで成り立っている、生と死によるリズム、リズムの中では死があるからこそ生がある(死は生へ繋がること)*2
  • エネルギーは有限(宇宙が広がることは、エネルギーが薄くなること)
  • エネルギーを集めることが出来るのは有機物だけ
  • 食べること=エネルギーを集めること
  • エネルギーを集める有機物はエネルギーが拡散していく宇宙に反発している存在(エネルギーをその存在に集めて凝縮している)
  • 多くの無機物の中で発生し、宇宙に反発して存在する有機物は奇跡的だと言える
  • 有機物は不安定な存在
  • ビックバンは無から生まれた
  • 無機物が集まると有機物的な何かが生まれる(?)*3
  • 無機物で有機物を表現するということ、その可能性
  • 無いものを在ると感じる、無いということが在るという概念
  • 言葉という切断(例えば、コップはコップという言葉である必要はない。コップという言葉は、コップをコップとして存在させるためにコップ以外のものからコップを切断するための道具である)
  • 無と在の不思議と面白さ、その関係(縦割りな考え方で理解しようとするべきものではないような気がする)

無駄に多くなってしまったけれど(そしてまだある気もするけれど)(そして大部分がメモなので雑多な感じだけど)メモをもとにもう少し噛み砕いて、そのうちこれらを文章にしてみます。とにかく考え方や情報が新鮮で、だからなのかとても質量を感じて、いっぱいいっぱい。時間の都合で途中で抜け出さなければいけなかったことが本当に残念です! 時間を気にせず、もっとあの空間に浸っていられたら良かったのになぁ。

*1:あとで、まとめ直します、きっと

*2:この考え方は、人を前向きにさせてくれる気がします

*3:これについてはお話しが途中になってしまったので、まだぐるぐるしているところ