「発見」と「気付き」

前回のエントリで、最近「気付く」ということに注目している、と書いたのだけど、今回は「気付く」ことについて書き綴ってみます。
気付く、という単語を辞書で引くと、以下のように書かれていました。

き‐づ・く【気付く】[動カ五(四)]

1.それまで気にとめていなかったところに注意が向いて、物事の存在や状態を知る。気がつく。「誤りに―・く」「忘れ物に―・く」
2.意識を取り戻す。正気に戻る。気がつく。「―・いたらベッドの上だった」

大辞泉より)

ここでわたしが記す「気付く」こと、というのは1の意味に近いのだけど、でも「気付く」ことは「知る」こととは少し違うのではないかと思います。「知る」ことは知識だけでも済むけれど、「気付く」ことには、実感が伴う必要があるのだと思います。今まで、教えてもらって知っていたはずなのに、それがどういうことなのか分かっていなかった、ということが何度もありました。それは、例えば20080419で書いたことだったり、20080522で書いたことだったり。既に知っていたことだったはずなのに、唐突に実感を伴って「気付く」ことがある。言いすぎかもしれないけど、気付く、というのは、知る、よりも理解する、と言った方が近いのかもしれません。
アーティストの藤本由紀夫さんの公演を聞いたとき、わたしはたくさんの「発見」をしました。今まで考えもしなかった思考を聞いて、新しい発見が溢れるほどにあったのだけど、その中で、まだわたしにとって「気付き」にはなっていない部分がたくさんあると思います。それに「気付く」ことが出来るのがいつなのか、分からないけれど、「発見」して意識することで、「気付く」可能性も高まるのではないかと思います。「気付いていないことに気付いた」時から、わたしはまだ気付いていないたくさんのことに「気付く」ために、出来るだけ多くの人と話しをする、ことを意識するようになりました。何故なら、今までに「気付いた」時というのは、人と話しをしている時が多かったから。話していて思考が深まる人となら何度でも話したいし、アーティストやデザイナーだけでなく、いろいろな職業や立場の人と話しをしてみたい*1
藤本さんにこういったお話しをしたら、「大学には同じような志を持った人が集まってくるから、専門的なことでも深い話しがしやすい場。そういう意味でも優れた場所」だと教えてもらいました。それから「例えばナイフを持った殺人犯と出会い、刺されてしまうというのもひとつの『出会い』。疲れてしまうし、気付くことに焦る必要はない」とも。焦っているとき(例えば、9:00に待ち合わせの約束だったのに8:40に起きてしまったときのようなイメージ)に焦らないことは難しいけど、この言葉には「うわ、バレてる」と思ったので(笑)、時折、藤本さんの言葉を思い出せるようにしていたいです。「気付い」て上手に切り替えが出来るようになる時まで、「発見」の有効活用をば :-)

*1:ただ、アーティストやデザイナーは普段から考える人が多い気がするのと、思考が近い気がするのもあって、話しやすいという事実も然り :-)