アーティストとデザイナー

以前、アートとデザインの違いはなんだろうって考えていたことがあります。デザイナーの原研哉さんはふたつを明確に分ける必要性を感じない、という旨のことを氏の書籍の中で書いていたけれど、最近、アートとデザインは違う、と確かに思うようになりました。
ブログに書こう、書きたいと思ってまだ書けていないけど、5月の末にアーティストである藤本由紀夫さんの公演を聞いたり、作品に触れたり、直接お話しをさせて頂くことがありました*1。それから、今日はデザイナーの佐野研二郎さんの展示会を見て、公演を聞いてきました*2。そうして思ったことは、アーティストとデザイナーは、明らかに違う、ということ。もう少し身近にいるアーティストM氏とデザイナーY氏を見ていてもそう思います。その二人と話しをすると、もっと顕著にそう思う。
藤本さんとお話しをしていて、アートとデザインについての話しが出たとき、藤本さんは「僕はアートとデザインはまったく違うものだと思う」とおっしゃっていました。曰く、デザイナーは答えを見つけていく人で、アーティストは問題を見つけていく人なのだ、と。
この言葉を聞いた瞬間、わたしは目からウロコが落ちた気分(本当にそんな気分!)で、アートとデザインを明確に切り分けられたような気がしました(もちろん、表現していくうえで重なる部分はあるのだけれど)。アートは難解だ、と言われることが多いけど、問題は難解なものなのだからそれは当然のこと。問題を解きほぐして答えを見つけて、提示するのがデザイン。だからデザインはアートよりも輪郭が強くて、明確で、分かりやすい。見ていて気持ちが良いし、生活に入ってきやすい*3し、受け止めやすい。それは、考え抜かれて出された「答え」だから。そう考えるとすべてがすっきりとします。分かりやすい方が人には認められやすく、支持もされやすい。日本では答えばかりが注目されているけれど、問いは自動的に発生しているものではなく、答えを導くのと同じくらい考えて考えて作り出されているものなのだから、問いももっと注目してもらえると良い、と藤本さんはおっしゃっていました。本当に、そうだなぁと思います。
問いを見つける者と、答えを見つける者。表現するために使うメディアや手段が重なるところもあるから混同しやすいけれど、アートとデザインは、その目的が確かに違います。アーティストもデザイナーも、なんて素敵で、そしてなんて難しい職業なのだろう、と思います。奇抜さは斬新さではなく、今までにないものを作り出すことは目的でなく、見つけた問いや答えを表現するための過程に過ぎない。そう考えていくと、そんなに情報を持っている訳でもないけれど、全体の比率で見ると、優れたアーティストやデザイナーの、なんて少ないことだろうかと思います。かっこ良かったり美しかったり、それを作り出すこと自体が目的になって、なんとなく「それっぽい」ものを作れる、なんちゃってアーティストやなんちゃってデザイナーがたくさんいる気がする。そしてそういう人達が世に受けやすいのが今の現状なのだ、とも藤本さんはおっしゃっていました。作品にオリジナリティを、だとか、アイデンティティだ個性だと盛んに言われる時代だけど、それは手段であって、目的ではないはず。自分の作りたいものを作って人に押し付ける、見た目がかっこ良かったり目新しいだけのそういう作品が持てはやされる。アーティストやデザイナーが持つべきアートやデザインに対するリテラシーはもちろん、そうではない人の目も、もっと養っていくべきなのだと思います。
書きたいことがいろいろあって、書き足りないけれど、また「藤本さん編」と「佐野さん編」のふたつに分けて記事を書きたいなぁ(書きたい、と書いておきながら書けていないことが増え続けている気がするのはたぶん気のせい)。
この記事の最後にもうひとつ、わたしが考えるアーティストとデザイナーの共通点について。それは「気付く」*4こと。わたし達はまだまだ気付いていないことがそこかしこにたくさんあって、いかにそれに「気付く」か、はとても重要で、そしてとても難しいことであると思います。アーティストはいかにして「問題」に気付くか、デザイナーはいかにして「答え」に気付くのか。探しているものや表現するものは違っても、そのために「気付く」こと、この作業はふたつに共通していることなのではないか、と思います。気付くために、どうすれば良いのか。わたしが見つけたその方法については、また後ほど ;-)

*1:書きたいことがどんどん溜まっていくよ...!

*2:これについてもまた別途書きたいのです!

*3:良いデザインが身近にあると生活が豊かになる気がします :-)

*4:「気付く」こともわたしが最近注目している事項です。これについてもまた後ほど書きたいな...(書きたいことが多過ぎる)。